素朴な疑問:特許庁のシステムはそんなに難しいのか

特許庁の新システムの開発が頓挫して55億円が無駄になったというニュースは既によく知られています。特許庁は特別会計で運営されているのでこの55億円の出元は税金ではなく特許庁に出願人が支払ってきた料金なのですが、それでも国民の金であることに変わりはありません。加えて旧式化したシステムをしばらく使い続けなければならないということで、知財立国をめざす我が国にとって大きな痛手であります。

なんで、この話を今更持ち出したのかというと、昨日のTBSの報道特集でこの問題が取り上げられていたからです。番組では、開発に反社会的勢力がからんでいた的な話が中心になっていましたが、それに関する議論は別の方におまかせするとして、この機会に以前に書こうと思って書き忘れた話を書いておきます。純粋に情報システムとして見たときに特許庁のシステムはそんなに難しいのか、というお話です。

特許庁の内部事情は全然知らないので、特許庁審査官とのやり取り、そして、特許庁システム機能のWebフロントエンドであるIPDLのほぼ毎日の使用経験に基づいて書きます。

まず、特許庁のシステムの機能は大きくコンテンツ管理とワークフロー管理に分かれると思います。

コンテンツ管理システムとして見ると、大量の出願書類を管理することから、データ量は多いでしょう(基本的に過去の出願資料は全部保管しなければいけません)。それでも、年間30万件の出願を40年間保管、1出願あたりのデータ量が(余裕を持たせて)100MBとして計算すると120TBでしかありません。

さらに、ステータスや内容が変わるコンテンツはせいぜい過去10年分くらいで、それより以前はスタティックなコンテンツです。また、内容が変わる時には、ほとんどの場合、法律で決まった補正の手続きに従います。何を誰がいつ変更できるかは法律で決まっています。

また、コンテンツの形式も法律で決まってます。非構造化データではあるものの、そのスキーマはほぼ一定です。ユーザーが独自のスキーマを設定することはありません。もちろん、法律の改正による形式の変更はありますが、それはそれほど頻繁でもないですし、共通形式が決まっているという点は変わりありません。

次にワークフローです。特許庁の最も根幹的な業務は出願書類を審査して登録査定するか、あるいは、拒絶査定するかを決めるワークフローです。このワークフローもおおまかには法律で決まっています。たとえば、特許出願がされると、まず、方式審査が行なわれ不備があれば補正命令が出されます。問題がない、あるいは、不備が補正されると審査請求待ち状態になります。審査請求が出されると実体審査が始まります。出願から3年以内に審査請求が出されないと出願は自動取り下げになります、などなどです。

ワークフロー管理のシステムを構築する場合の難所は1)全体像が見えにくい、2)例外プロセスが多い、3)プロセスの最適化の検討が大変、等にあると思います。

特許庁のシステムの場合、1)全体像は既に法律や関連規則で文書化されています(特許法は実体法と手続法が一体化しており基本的な手続きは法文に書いてあります(たとえば、前述の3年以内に審査請求しないと取下げになるというルールなど))、2)特許庁内部での例外プロセスは数多いと思いますが根本的な部分は法律のルールに従わざるを得ません(たとえば、上記の審査請求の期間を担当者が勝手に延長することはあり得ません)、そして、3)プロセスの最適化(3年じゃなくて2年の方がいいんじゃないかというような議論)は法律改正の議論であってシステム設計時の時の議論ではありません(もちろん、システム上、法定期間を柔軟に変更できる設計にしておく必要はありますが)。

ということで、特許庁のシステムは、規模は多少大きいですが、グランドデザインが法律等で既に文書化されてる点で比較的御しやすいと思います。法律の条文、関連規則、特許庁の内部基準等々、文書は膨大ですが、既に文書化されているというのはワークロード管理システム開発者にとっては大変にありがたいことです。

逆に言うと法律の知識なしにボトムアップ式にワークフロー分析を始めると結構大変かと思います。「報道特集」では匿名の関係者が「開始直後から開発チームが現場担当者にインタビューしてスプレッドシートを作成していたがとても使えるものじゃなかった」という趣旨の発言をしています。

たとえて言えば、都市計画を行なう時に、航空写真や地図があるのに誰も見方を知らないので一生懸命に個別の家の設計図を分析しているようなものでしょう。頓挫して当然という気がします。逆にグランドデザインを理解している人が開発リーダーにいればそれほど困難な案件とは思えません。

ところで、「報道特集」では、韓国の特許検索システム(日本だとIPDLにあたるもの)がスマフォ対応しているのが紹介されていました。日本のIPDLはこれと比較すると恥ずかしくなるようなダム端末的UIです。

そういえばマドプロ経由で韓国に商標登録出願して韓国特許庁からOAが出るとWIPOから通知が来る前に、韓国の特許事務所から「うちにOA対応やらせて」というメールが多数届いたのですが、たぶん、リアルタイムでアラート設定できる仕組みがあるのでしょう。

米国もパーフェクトというわけではないですが、そこそこモダンなUIでリアルタイム性の高いサービスを提供しています。そして、民間企業で実績のある人物をCIOに置いてシステム改革を進めています。

日本はとんでもないハンディキャップを負ってしまったと感じます。

カテゴリー: IT, 特許 | 2件のコメント

東京地裁でアップルのサムスンに対するFRAND抗弁を認める画期的判決

何回も書いているように日本の裁判の情報公開は貧弱なのでアップルとサムスンの間でどのような裁判が行なわれているかの全貌は把握できないのですが、UI系の話とは別に、3Gの通信技術に関するサムスンの特許に基づく裁判が行なわれていたようで、その地裁判決が本日出ました(参照記事(日経))。

判決はアップルの勝訴(アップルによる特許侵害はないとされた)です。判決文が裁判所のサイトにまだ公開されていないので、記事から判断するしかないですが、ものすごく重要なことが明らかになっています(他紙の記事だとこの辺が全然わからなかったのですが、さすが日経はちゃんと書いています(追記:朝日毎日でもFRANDという言葉は使っていませんが同趣旨のことを書いた記事が出ました))。

判決で大鷹裁判長は、特許の有効性を認めたうえで、サムスンが国際的な業界団体に対し、他社の特許使用申請に応じる旨の宣言(FRAND宣言)をしていたことを重視。「アップルが使用許可を求めたのに、サムスンは誠実に交渉すべき信義則上の義務を尽くさなかった」として、アップルに対する損害賠償請求は「権利の乱用に当たる」と判断した。

FRAND(Fair, Reasonable And Non-Discriminatory)についてはこのブログでも以前に書きましたが、要は国際標準に準拠するために不可欠な特許(SEP:Standard Essential Patent)に対して特許権者が「公平、合理的、かつ、非差別的」なライセンスを行なう意思を表明しているということです。

このような場合に、差し止めや損害賠償などの特許権の行使を認めてよいのかという点が議論の対象になっていました。「広くあまねくライセンスしますよ(だから国際標準に採用してね)」と言っていたのに後になって「いやお前にはライセンスしない」と言い出すのは公正なビジネスとは言い難いからです。

一般に、この判断ではヨーロッパは厳しい(権利行使を認めない)方向にあります。今回と同等の特許について言うと、韓国はサムスンの権利行使を認め、米国は認めなかったようです。

日本でこの種の判決が出たのはおそらく初めてだと思います。個人的に、かつ、一般論として言えば、国際標準に準拠するための特許技術の利用を阻害するのは、産業の発達という特許制度の目標に反するため、SEPに基づく権利行使は認められるべきでないと思うので、今回の判決は喜ばしいと思います(特許権者としても特許がまったく無駄になるわけではなく、相場のライセンス料なら取れるので不当というわけではありません)。

判決文がアップされたら(アップされることを強く希望しますが、たぶん重要性が高いのでアップされることになるでしょう)また追記します。

カテゴリー: 特許 | タグ: | コメントする

【お知らせ】Teradata Universeでビッグデータやオープンデータについて講演します

前にもちょっと告知したと思いますが、3/7に開催されるTeradata Universe Tokyoで講演します。私の枠は15:50からなんですが大部屋を取っていただいた割に集客がイマイチらしいので(爆)ここで宣伝します。

タイトルは「ビッグデータの価値を最大化するデータ基盤の構築」とちょっと一般的すぎるものにしてしまいました(梗概の提出〆切の問題もありましてゴニョゴニョ)が、実際には、1)ビッグデータに向けたマインドセットの変革、2)RDBMSとMapReduceの融合、3)ビッグデータの世界でのデータ品質管理、4)企業におけるオープンデータの活用、5)一般企業でのデータサイエンティストの育て方等を話す予定です。

使うスライド1枚をここにアップしてしまいます。

130307 TD Universe

ご興味あるかたは私のセッションだけでもよいので(爆)、是非ご登録の上、ご来場ください。

カテゴリー: お知らせ, ビッグデータ | コメントする

【お知らせ】ドク・サールズの「インテンション・エコノミー」翻訳しました

去年の後半から苦労して訳してきた書籍”Intension Ecomony”、ようやく翻訳脱稿でき3/15に発売予定となりました。現在Amazonで予約受付中です。

著者のドク・サールズ(Doc Searls)氏はLinux Jounalのシニア・エディターであり、オープンソースの世界の重要なオピニオンリーダーの一人です。私的には、今のソーシャルな世界を予言していたとも言える「クルートレイン宣言」の共著者の一人としての意味合いが大きいです。また、64歳にして初の単著というのも興味深いです。

「インテンション・エコノミー」とは今日のマーケティングの中核となっている「アテンション・エコノミー」(顧客の関心が重要な財になっている経済)のアンチテーゼであり、顧客の購入意思を中核にした経済を作るべきであるという考え方です。たとえば、「パーミッション・マーケティング」とかPricelineの「逆オークション」とか類似の考え方は今までもありましたが、それらの前例を踏まえた上で今日のテクノロジー環境を活用したあるべき姿を考察しています。

サールズ氏は、単にアイデアを述べているだけではなく、CRMに対応するVRM(Vendor Relationship Management)と呼ばれるツールの開発活動に実際にかかわっている点もポイントです。また、Webサービス業者と消費者間の契約について突っ込んだ議論がされている点もユニークかと思います。

マーケティングの現在の話ではなくて、ソーシャルやビッグデータを越えたところにある5〜10年レンジ先の話なので、その点は誤解なきよう。

米Amazonの評価も良好で、現時点での評価はほぼ満点(5点が14人、4点が2人)。TechCrunchでもカバーされました(記事で予測されたように日経ではなくて翔泳社から出ましたけど)。YAMADAS Project(@yomoyomo様)では、邦訳が期待される洋書の1冊として紹介されました。あと朝日新聞の記事で洋書版の書評(ネットはいま++/平和博 買い手主導の「スモールデータ」)があったのですが、Web上からは消えてしまったようです。

結構盛りだくさんな内容で、かつ、著者独自のスタイルだと思いますが、妙にペダンティックだったりポエムぽかったりする部分もあるので、ちょっと読みこなしにくいかもしれません(翻訳がんばりましたが原著に書いてないことを足すわけにもいかないので)。発売されましたら本ブログでも解説記事を書いていく予定です。

カテゴリー: お知らせ, 翻訳 | タグ: | コメントする

強力な特許は「潮の変わり目」を狙え

当たり前の特許を無効化して1000万円の副収入」のエントリーが(釣タイトルも貢献して)バズった割には、関連エントリーの「ArticleOneの特許無効化ゲームにチャレンジしてみよう」はイマイチでした(実は今頃rticleOneに証拠資料が殺到したりしているのかもしれませんが)。

要は、今の目で見ても当たり前すぎるくらい当たり前であっても、10年以上遡った時点で当たり前だったことを証明しようと思っても、そう簡単には証拠は見つからないということだと思います。

すなわち、強力な特許を獲得したいのであれば「5年以上先の当たり前」を思いつく必要があるということです(これが「発明の才」に他なりません)。もっと未来のアイデアを思いつくのは、大手メーカーや大学の基礎研究部門の仕事ですし、そもそも特許権は出願から20年しか存続しませんので、実際に有効に使える期間が短くなってしまいます。個人やベンチャー企業にとっては5年先くらいがスイートスポットではないかと思います。

キャズムを越えて製品・サービスのカンブリア爆発が起きてしまってから、特許出願しても強力な権利を獲得するのは(不可能とは言いませんが)困難です。ちょっと思いつくようなことはたいてい既に実行あるいは出願されています。

弊所でも、タブレットのタッチUIだとか、ネット広告だとか、ロケーション・ベース・サービスだとか、今が旬のテクノロジー分野で発明で相談に来られる方が多いですが、たいてい先行技術・事例があります(とは言え、これらの分野でも「その発想はなかったわ」的なアイデアが残っている可能性はゼロではないですが)。

アップルのUI特許にしろ、Googleの(正確にはOvertureの)AdWords特許にしろ、以前に触れたセガのタッチペンによるサッカーゲーム操作特許にしろ、みな、関連技術が普及する直前、いわば、「潮の変わり目」に出願されています。

強力な特許を取得したいのであれば、この「潮の変わり目」を見極めることが必要です。(「じゃあ、具体的にそれは何なのよ?」と言われるとちょっとそれはブログでは書けません、別途ご相談の範疇です)。

カテゴリー: 特許 | コメントする