なぜ人間の治療方法は特許にできないのか?

しつこく、加圧トレーニングの方法特許のネタを続けます。別に、利害関係人であるわけではなく、日本の特許制度を考える上で興味深いトピックを提供しているからです。

前にも書きましたが、この特許の無効審判(審決番号:2011-800252)では、先行技術の提示により新規性・進歩性を否定するという一般的な主張に加えて、加圧トレーニングが医療行為に相当するので無効であるという主張も行なわれています。結果的にその主張は認められていません(トレーニング方法であるとされています)。

その結論の当否はここでは論じませんが、そもそも、なぜ人間の治療・診断方法などの医療行為は特許の対象ではないのでしょうか?

実は特許法的には明確な根拠はなくて、特許庁の解釈で決まっていることです。特許庁の審査基準(審査の運用を定めた文書で一般公開されています)で、医療行為は「産業上利用できる発明ではない」という運用上の解釈で特許の対象外にするよう定められています(条文で言うと29条1項柱書き)。

(追記:某掲示板で「人体を必須の構成要素とする発明は特許にならない」と書いている人がいましたがそれははるか昔の審査基準です。今では、医療行為(治療・診断・手術)でなければ、特許の対象です(例:ヒトiPS細胞))。

医療が産業ではないというのはちょっとピンと来ない気がしますが、人道的に医療行為は特許化すべきでないということからこういう解釈になっていると考えられています。たとえば、緊急治療を行なう医師が特許のライセンスがないために最適な治療を行えないというようなことがあってはならないのは当然なのでまあしょうがないと言えます。中山『特許法』では「医療行為を特許制度から外すという大命題のための苦渋の解釈」と書かれています(p117)(強調は栗原による)。

なお、米国では人間の治療方法も特許化され得ます。TPPによって、知財制度の統一化(実質的には米国化)が進むと、日本でも治療方法が特許対象とされるようになるのではないかというな懸念の声が聞かれたこともありましたが、実際には、米国では医師の治療行為には特許権が及ばないという規定があるので、日本も同様の改正を行なえば、前述のような倫理的問題は生じないと思います(この辺については、こちらのコラムが詳しいです)。

中山『特許法』でも、立法論としては、医療行為への特許を認めた上で医師の治療行為について特許権の効力を制限するという「川下での規制」の方が、望ましいのではないかとの主張が展開されています(p119あたり)。

この観点で言うと、本日(04/04/10)開廷されているらしい、加圧トレーニング方法特許の無効審判に対する知財高裁の審決取消訴訟がどういう展開になっているのか興味があります(もし、傍聴された方がいれば本記事にコメントしてくださいな)。まあたぶん医療行為ではない(なので、医療行為の特許可能性は議論しない)という話で終わっている気がしますが。

ところで、日本では、(人間ではない)動物の治療方法は特許対象です。一方、欧州特許条約では、人間の治療方法も動物の治療方法も特許の対象外のようです。「倫理的価値間の相違に由来すると思われる」と中山『特許法』に書いてあります。(要は、欧州は動物の「人権」を重要視する傾向が強いということでしょうか。)

カテゴリー: 特許 | コメントする

米特許庁がiPad miniの拒絶理由通知を出し直し

ITProに「米特許商標局、Appleの「iPad mini」商標登録出願に対する「拒絶」を撤回」なんて記事が載ってます。正確に書くと、米特許庁が一度出したOffice Action(日本でいう拒絶理由通知)を出し直したということです。iPadが記述的であるとされた件と使用証拠の不備の件が撤回されています(miniの部分は単独で権利を主張しなことを宣言せよという件はそのまま残ってます)。

米特許庁の記録を確認すると、Appleから意見書も出ていないのにOAを出し直しているみたいですが、こういうパターンがよくあるのかわかりません(審査官が「ご迷惑をおかけしたら申し訳ありません」(”The examining attorney apologizes for any inconvenience caused.”)と謝っているので異例なことなのかもしれません)。また、ひょっとすると電話等でApple側と非公式のやり取りがあったのかもしれません。

そもそも、iPad部分の識別性については、Appleが富士通から買った(miniではない)iPad商標の審査において、分厚い資料を出してセカンダリーミーニング(使用による識別性)を主張した結果、識別性が認められているので、それを蒸し返したOAを出すのはおかしかったと思います。

追記:「”iPad mini”の商標が認められるのなら、誰でも既存の商標にminiと付けたら登録されるんじゃないか?」という主旨のツイートを見たので、ついでにお答えしておくと「他人の登録商標と類似の商標は登録されない」のがルールです。ゆえに、Apple以外の人(会社)が「iPad mini」を出願するとiPadの登録商標との類似性を理由に拒絶されますが、Apple自身が「iPad mini」を出願した場合には、それを理由に拒絶されることはありません。

カテゴリー: 商標 | コメントする

【週末ネタ】特許要件の重要判例(?)「宇宙論事件」

言うまでもないですが、特許の対象となる発明は「自然法則を利用した技術的創作のうち高度なもの」と定義されていますので、自然法則を利用していないアイデアは特許の対象になりません。「ビジネスモデル特許」という言い方がありますが、日本ではビジネスモデル(ビジネスのやり方)それ自体は特許の対象外です。世の中で「ビジネスモデル特許」と言われているのは、実際には、ビジネスモデルを実現する情報システム(これは、コンピューターで動いてますので自然法則を利用していると言えます)の特許であることがほとんどです。

現実には、この「自然法則利用」要件のグレーゾーンもあります。一部に人為的判断が入っていても全体として自然法則を利用していれば特許の対象になりますし(もちろん、新規性・進歩性等の他の要件は別)、人のプロセスでコンピューターを使っていてもその使い方に何ら特徴がなく単に道具として使っているだけであれば、人為的取り決めにすぎないとされて特許の対象外になります、

さて、久しぶりに中山『特許法』を通読していたところ、この「自然法則を利用した」の要件のグレーゾーンの説明のところで、2つの知財高裁判例が上げられているのが目に止まりました(p99)。

ひとつめは「人間に自然に備えられた能力のうち、子音に対する識別能力が高いことに着目し、その性質を利用して、正確な綴りを知らなくても英単語の意味を見いだせる」というアイデアが自然法則を利用したものであると判断された「対訳辞書事件」です。

もうひとつは、「数多くの対象となる言葉を、その意味する内容に則って、宇宙論、生命誕生、人類誕生、文明開化の4つの思想にあてはめて、分類し、連ね並べて整理する」アイデアが自然法則を利用したものではない(単に人による分類作業)と判断された「宇宙論事件」です。この判決文は裁判所サイトで読めます。特許の公開番号は特開2005-037867です(IPDLは直リンできないのでご興味ある方は自分でサーチしてください)。なお、要約は以下のようになっています。

【要約】
【課題】 宇宙論、生命誕生、人類誕生、文明開化の各思想を、記号等を用いてコンパクトに理論化を可能とする。
【解決手段】 記号化した対語だけを用い、宇宙論、生命誕生、人類誕生、文明開化の各思想を基に、自然科学、社会科学、人文科学の定説で根拠付け、その記号化した対語を羅列する事で、限定的に、そしてコンパクトに理論化を可能とする。

この手の「特殊特許」の公報はネタとしてよく取り上げられますが、裁判まで行ったのは珍しいような気がします(特許庁の審決を取り消す訴訟なので地裁をパスしていきなり知財高裁で争われます(なお、原告は本人代理))。判決文を読むと、原告はかなり「独自性」の高い主張を展開しており、これにちゃんと論理立ててまじめに対応している裁判官や特許側代理人側の気持ちを考えるとちょっと胸熱です。

中山先生が何でこんな「特殊特許」を判例として引用したか(まさか、ネタとしてではないでしょう)ですが、自然法則の利用性について知財高裁が判断を示した比較的最近の判例なのと、「対訳辞書事件」との対比で、自然法則利用性の判断の境界がクリアーになるという点が重要であったのだと思います。

今後、法研究の世界でこの「宇宙論事件」が取り上げられる可能性もあるのかと思うと、これまた胸熱です。(追記:今、仕事場に来て『注解特許法』を見たら普通に載ってました。)

カテゴリー: 特許 | コメントする

個人が勝手に加圧トレーニングをするとどうなるのか(特許権的な意味で)

昨日書いた加圧トレーニングの特許、ちょっと調べるといろいろあるようで、侵害訴訟沙汰にもなってますし(プレスリリース)、たぶんそれに関連して無効審判も請求されています。無効審判のうち、1件は昨年の10月に請求棄却(つまり、特許権は有効との決定)になってます(これに対して審決取消訴訟が提起されており、このサイトによると次回の知財高裁開廷日は4/10(本ブログ記事投稿の翌週)らしいです)。この審判(審決番号:2011-800252)についてはIPDLで審決書類が見られるようになっており、予想通り、医療行為ではないか(注:日本の特許法では人間の治療方法は特許の対象外)等の議論がなされています。なかなか興味深い内容です。もう1個の方の無効審判は今年の2月に請求されています(係属中なので書類は特許庁まで行って料金を払わないと見られません)。

ところで、もうちょっとでパブリックドメインになるのに、なぜわざわざ無効審判で争うのかというと、特許が無効になると最初から権利がなかったことになるので、侵害訴訟で訴えられている方の賠償金の支払い義務がなくなるからです(追記:ついでに書いておくと特許権が切れた後も無効審判は請求可能です)。ライセンシーが支払い済みのライセンス料を返してもらえるかどうかは微妙ですが、通常は、ライセンス契約に特許権が無効になってもライセンス料は返還しない旨の条項が入っているはずです。

話は変わりますが、Wikipediaの加圧トレーニングの項目では、オリジナルで加圧トレーニングをやる方法への情報のポインターが紹介されています。その他、Webでもゴムベルトで縛るなどの方法を紹介している人もいます。自己流でやって筋肉を痛めたりする等、健康を害するリスクは別論として、特許的にはどうなんでしょうか?

これは、全然問題ありません。特許権は「業として」特許発明を実施を独占できる(他人の実施を禁止できる)権利だからです。

特許法68条 第六十八条 特許権者は、業として特許発明の実施をする権利を専有する。(後略

なので、個人が自分で勝手にやる分には特許権の効力は及びません。それを商売にしたり、かりに報酬を得ないとしても他人に反復的に提供したりすると特許権の侵害になり得ます。

また、ちょっとややこしいのですが、間接侵害という規定があって、方法の発明については、その発明の実施にしか使わない専用品を生産・販売したり、あるいは、方法の発明に不可欠な物をそれと知って生産・販売したりすると侵害になります。つまり、加圧トレーニング用バンドと銘打って専用ゴムバンドのようなものを販売すると間接侵害に問われる可能性はあります。

この「業として」の縛りは、特許・実用新案・意匠・商標の産業財産権にすべて共通です。なので、たとえば、ブランド品の店の紙袋を自分で加工してオリジナルのバッグを作って使うのは自由ですが、それをオークションで売ったりすると商標権侵害となり得ます。

なお、言うまでもないですが、著作権には「業として」の縛りはないですから、他人の著作物を勝手にネットにアップ等すると、営利目的であるかないかには関係なしに侵害になります。

カテゴリー: 特許 | コメントする

加圧トレーニングの方法特許がまもなくパブリックドメインに

加圧トレーニングについてはご存じだと思います。腕等にベルトを巻いて血流を押さえて負荷を高めた状態で筋トレすることで効果を高めるという方法です。自分もやってみたかったのですが、正規にライセンスを受けた業者しか提供できないようで、できる場所も限られてますし、器具も料金もちょっとお高めなので断念しました。

正規ライセンシーしか実施できないのは、言うまでもなく、加圧トレーニングの方法が特許で守られているからです(特許第2670421号)。その請求項1は(追記:すみません、よく調べたら一度無効審判が請求されて訂正が入ってました(下線部))、

筋肉に締めつけ力を付与するための緊締具を筋肉の所定部位に巻付け、その緊締具の周の長さを減少させ、筋肉に負荷を与えることにより筋肉に疲労を生じさせ、もって筋肉増大させる筋肉トレーニング方法であって、筋肉に疲労を生じさせるために筋肉に与える負荷が、筋肉に流れる血流を止めることなく阻害するものである筋力トレーニング方法。

となっており、ほとんど加圧トレーニングのやり方そのまんまで限定がかかってない強力な特許権です(追記:調べたら無効審判が2件係属(1件は審決取り消し訴訟中)してますので鉄板ではないかもしれません)。正規ライセンシー以外が提供できないのもわかります。加圧トレーニングの市場規模がどれくらいかわかりませんが、市場を完全に独占できてきたわけなので結構な価値がある特許ではないかと思います。

20130403112728435677

そして、この特許の出願日は1993年11月22日なので、今年の11月22日に特許権が切れます。

この件に関して本家のKAATSU JAPAN株式会社がプレスリリースを出しています。要約すると、特許権は切れますが、他にも知財は持っているのでちゃんとこれからもライセンスしてねという「お願い」と、その他の知財権を侵害しないねでという「警告」です。その他の知財として重要なのは以下の2点です。

ノウハウ(営業秘密):加圧式トレーニングの実際にビジネスをやっていると特許として保護(および公開)していた部分以外にもいろいろなノウハウがたまるでしょう。たとえば、こういう年齢の人はこれくらいの負荷から始めるべきとか、こういう症状が出たら休ませるべき等々、です。これはライセンシーだけに提供される営業秘密と考えられるので不正競争防止法で保護されます。これを漏らした人や不正に取得した人は、契約違反に加えて、不正競争防止法に基づいて訴えられ得ます。

商標:KAATSU JAPAN社は「加圧トレーニング」を初めとする多くの商標権を所有しています(参考)。商標権は更新さえすれば永遠に続きます。なので、他人が「加圧トレーニング」という名称の商品やサービスを商売として提供すると商標権の侵害になる可能性があります。「加圧トレーニング」は記述的商標ぽい気もしますが、一度それを理由とする異議申立をクリアしているので、特許庁的には識別力ありと判断されたようです(現時点で商26条が適用されるかどうかは自分は利害関係者ではないのでノーコメントとします)。

知財の中で最も強力なのが特許であるのは間違いないですが、それ以外に、商標(ブランド)、ノウハウ(営業秘密)、著作権等々を組み合わせることで、ビジネスをより強く守ることができます。拙訳『オープン・ビジネスモデル』で主張されている知財は束にしてビジネス戦略と整合性を取ってこそ意味があるという主張そのままであります。

ただ、特許権が切れてしまえば、加圧トレーニングのアイデア自体はパブリック・ドメインになりますので、他社が、KAATSU JAPAN社の営業秘密を不正に取得することなく、KAATSU JAPAN社の名称や登録商標とまぎらわしい表示を使うことなく、同社の著作物をコピーすることなく、同じような商売を行なったり器具を販売するのは自由になります。本家はノウハウと実績に基づいた信用とブランド力をベースに勝負して、新参者は信用を築きつつ低価格で勝負することになり、結果的に消費者はメリットを得られるでしょう。

これまた、ジェネリック医薬品やネスプレッソ互換カプセル(こっちはちょっと確実ではないですが)と同じ構図です。

カテゴリー: 特許 | 2件のコメント