ビッグデータとプライバシーについて

DISCLAIMER: 私はプライバシー分野はもちろん一応の勉強はしていますが、必ずしもコアな専門領域というわけではないのでBest Effortベースで書いています。もっと詳しい方からのコメントを期待します。

IBMの「ビッグデータ」担当の人が日経ITProのインタビュー記事で「ビッグデータ」の応用として通話履歴(CDR)を使ってソーシャルグラフを作るというような事例を挙げたのに対して「それは通信の秘密に反する違法行為ではないか」ということで、twitter界隈を中心にプチ炎上的な状況になっています(参考togetter)。

そもそも、「ビッグデータ」と言う言葉が出る前から通話履歴情報の分析はデータウェアハウスの重要応用分野でした。通話履歴の分析がいっさいできないということであれば容量計画もできないですし料金の設定もできません。

過去にこの手のデータウェアハウス・アプリケーションについてベンダーや通信事業者(欧米)の人の話を聞いた時にプライバシー面での話を聞いたことも何回かありますが、その時の回答は、「個人とのひも付けがされない分析であれば問題ない」というものでした。

CDRとソーシャルグラフとの関係で言えば、ソーシャルグラフのノードに個人識別情報(電話番号、名前等)が入ってると問題ですが、そうではなくて、全体的な分析、たとえばソーシャルグラフの次数(ノードにつながってる辺の数)を分析するなどであれば問題ないということだと思います。あくまでも例ですが、たとえば平均次数が5であれば「3名までならかけ放題のプランを提供しても実際にはそれ以上の通話先にかける人がxx万人はいるので十分儲かるはず」みたいな分析をすることになるでしょう(当然、現実にはもっと複雑な分析をすることになります)。ただし、ここで次数が高い人にしぼって料金プランを提案するみたいないわゆるターゲティングになってくるとちょっと微妙な線ではないかと思います(たぶん、オプトインがないとまずい気がします)。

日本の規制ということでは、総務省による「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン」の平成23年度版(PDF)によれば、通話履歴については

第23条 電気通信事業者は、通信履歴(利用者が電気通信を利用した日時、当該通信の相手方その他の利用者の通信に係る情報であって通信内容以外のものをいう。以下同じ。)については、課金、料金請求、苦情対応、不正利用の防止その他の業務の遂行上必要な場合に限り、記録することができる。(以下略)

となっています。そして、解説部分で、「通信履歴は、通信の構成要素であり、電気通信事業法第4条第1項の通信の秘密として保護される」としています。その一方で、「いったん記録した通信履歴は、第10条の規定に従い、記録目的に必要な範囲で保存期間を設定することを原則とし、保存期間が経過したときは速やかに通信履歴を消去(個人情報の本人が識別できなくすることを含む。)する必要がある」とも書いてある(太字強調は栗原による)ので、本人識別ができないようにすれば、通信履歴の消去と同等に扱われるようにも読めます。

ITProの記事では

また、だれがだれに電話したというデータなので、それをグラフ化すればソーシャルグラフが描ける。そうすると、ある人が基点になって周囲に頻繁に電話している、といったこともわかる。その人を中心にしたコミュニティの存在を把握できる。周囲への影響を考えると、その人が電話会社を変えないことは重要である、といった事柄が察知できるわけだ。

こうしたことから携帯電話会社は、3カ月で通話履歴を捨てていたのは間違いだったととらえている。5年でも10年でも保存しておいて、ソーシャルグラフを活用してビジネスに活用すべきだ、と認識を改めている。通話履歴が単なる「課金用のデータ」から、「行動履歴、ソーシャルグラフ用のより重要なデータ」に変質したわけだ。

と匿名での分析かどうかが明らかになっていないので、誤解を招いてもしょうがないと言えます。また、「海外における事例を紹介するものであり、日本においても実施が可能であることを意図するものではない」と注が入っているのですが、そもそも、通話履歴からノードに個人識別情報が入っているソーシャルグラフを作ると海外(特に欧州)でも問題だと思うのですが(この辺、現在調査中です、詳しい方いたら教えてください)。

ところで、この分野での自分の知識の確認のために本をちゃんと読んでおこうかなと言うことでAmazon USで探したらそのものずばりの”Privacy and Big Data”という本(洋書)(O’Reillyです)を見つけました。Kindle版で9.9ドルです。評価を見ると「ちょっと薄いけど入門用には良い」みたいな感じだったので買いました。読み終わったら書評を書くと思います。

追加:(12/02/18 13:56)

早速、高木浩光先生からtwitterで突っ込みが入ってしまいました。「なぜ日本法で違法となるのか、ぜんぜんわかってないな。」だそうです。この分野では高木先生には教えを請いたいくらいなので批判は喜んで受けますし、私に間違いがあれば即訂正します。

「米国は日本のような「通信の秘密」の概念がない代わりに、通信についてのプライバシーという立て付けの法で保護しているが、日本法の「通信の秘密」は、プライバシーとは無関係。たとえ分析結果がプライバシーを何ら侵害しないものであっても、通信の秘密を侵してデータを使用した時点で違法。」だそうですが、さすがにそこは私もわかっております。ポイントは日本では「個人情報を抜いた通話履歴」の分析も違法なのかということです。上にも書いたように、法務省のガイドラインでは通話履歴から本人識別情報を削除すれば通話履歴自体を削除したのと同じとみなしているようなのでそこの解釈がポイントです。これについては、本当に誰か教えてください。

また、ITProの記事について「誤解を招く」と言ったのはせいいっぱい好意的に解釈しての婉曲表現です。

追記:(12/02/21 22:56)

ちょっと忙しくて情報が追加できていませんが、はてブのコメントの一部に回答しておきます。

個人情報を抜いた通話履歴なら分析してもok、ってちょっと危険に寄ってる考え方じゃないかな。差出人と宛先見なければ手紙の中身を勝手に見てもいい、って言ってるようなもんじゃないの?常識的に考えておかしい。2012/02/18

手紙の中身に相当する通話内容についてはここでは誰も議論してないです。それを盗聴するのが違法(というか犯罪)なのは当たり前。ここで議論しているのは通話履歴、特に、匿名化した通話履歴です。

オプトインで法律が拡張できるんだ〜 わ〜い2012/02/18

すみません、ちょっと何言ってるかよくわからないです。

「個人識別情報を抜けば問題ない」って、具体的にどーやるのでしょ? 顧客を、ABXX0011さん、みたく置き換えればOKってこと? 不変なIDで管理されるの? もっとも、根本的にITPro記事の主題と矛盾あると思いますが…。2012/02/18

不可逆なハッシュ演算で一意性は維持しつつ元の番号がわからないようにするだけです。原理的には2ちゃんのIDと同じです。(追記:←これは私の勘違いどうもすみません↓に追記しました)。データ管理ソフトの中にはこのような匿名化機能を備えているものもあります。ITPro記事が通話記録をそのまま使うのであれば問題だが、匿名化した分析なら大丈夫なんじゃないですか?というのがこのエントリーの主旨です。

あと、「個人が識別できないソーシャルグラフの分析にどのような意味があるのか?」という趣旨のコメントが付いていたと思いますが(今見たら消えてました)、ついでに回答しておくと、たとえば、「次数が10以上の人(それが具体的に誰かはわからない)に、グラフ上で直接つながってる人(それが具体的に誰かはわからない)の利益性まで考慮すれば、10人までかけ放題プランの料金の値引きはいくらまでなら大丈夫」というような分析ができるはずです(現実の分析はもっと複雑でしょうが)。問題はこういうプランを特定の人にお勧めするターゲット広告ですが、たとえば、モデル化は完全匿名状態で行なっておいて、ターゲティングはアンケート調査等でのプロファイリングに基づいて行なうことは可能かと思います。

追記(2012/02/23 20:05)

高木浩光先生より、「不可逆なハッシュ演算で一意性は維持しつつ元の番号がわからないようにするだけです。」 の部分に対して、以下のコメントをtwitterでいただきました。

ハッシュが元に戻せないとした時点で技術的に誤り。鍵付きハッシュでも当事者がその鍵を持っているわけで。

確かにおっしゃっるとおりですし、そもそも元データが電話番号であれば定義域の要素数は限られているので、不可逆な演算であってもブルートフォースで計算すれば元データがわかってしまうのであまり意味はないですね。かと言って、電話番号を完全な乱数で置き換えるとすると長期間の通話履歴に基づいたソーシャルネットは構築できないのであまり分析の意味はないかもしれません。それでも、「月の通話料x円以上の人のソーシャルグラフにおける平均次数はy個で、その人の直接の通話先の平均通話料はz円である」というような、個人を識別できる情報を使わない統計的な分析は可能ではないかと思います(これが「通信の秘密」の規定に基づき違法なのかどうかはわかりませんが)。

なお、海外では通話履歴を使ったSocial Netwrok Analysisの事例は普通にあるようです(たとえばこのSlideshareのエントリー)。もちろん、だから日本でもOKにせよと言っているわけではありません。

追記(2012/02/24 11:20)

上記のはてブコメンターのsnwrさんがtwitterにて「利用状況に応じた料金プランの提案」が電気通信役務に含まれないのであれば、そのための通信履歴の解析は通信の秘密の侵害にあたる。違法な行為がオプトインで合法に化けるのなら、極端な話、殺したい相手から「自分を殺しても良い」という証文を取れば殺しても罪に問われないことになる」とおっしゃっています。

敢えて説明するまでもないですが、法律(ルール)には個人の同意(や当事者間の合意)でオーバーライドできるものとできないものがあります。殺人はできないものの代表例。一方、本文にも挙げた総務省の「電気通信事業における個人情報保護に関するガイドライン(H23)」の6条1項では、

第6条 電気通信事業者は、あらかじめ本人の同意を得ないで、前条の規定により特定された利用目的の達成に必要な範囲を超えて、個人情報を取り扱わないものとする。

となっており(太字強調は栗原)、反対解釈により本人の同意(オプトイン)があれば広告のために個人情報(総務省のこの文書では個人の「通信の秘密」に関する情報は個人情報に含まれる扱いとなっています)を使ってもよいように見えます。(契約書等の文面に小さく書いてあるだけでは同意したとは言えないんじゃないかという議論もありますが別論)。

さらに追記2012/02/24 11:50

上記の総務省ガイドラインの23条2項(通信履歴)については以下の規定があります(太線強調は栗原)。

23条2項 電気通信事業者は、利用者の同意がある場合、裁判官の発付した令状に従う場合、正当防衛又は緊急避難に該当する場合その他の違法性阻却事由がある場合を除いては、通信履歴を他人に提供しないものとする。

ということで、オプトインしてくれた利用者の通信履歴を外部の分析業者に渡して分析してもらうことは法務省のガイドライン的にはOKと言えるように見えます。ということはIBMがインタビュー記事で言っているソーシャルグラフ分析も利用者のオプトインがあれば日本でも実現可能に思えます(総務省が何を言ってようがけしからんという意見はあるかもしれませんが別論)。なお、このようなケースでは電話番号をハッシュ化して外部の分析業者に生の電話番号を知られないようにすることは有効と思われます。

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偽ブランド品販売における楽天の責任について

商標関係で最近興味深い知財高裁の判決がありました(参考記事:「商標権侵害訴訟 サイト運営者、放置なら責任 知財高裁が判断」)。楽天市場で商標権を侵害する商品(キャンディのチュッパチャップスのロゴを使った商品)の販売について、商標権者(チュッパチャップスを作っているイタリアの会社)が楽天に対して損害賠償を請求した事件です。

チュッパチャップス(正確には”CHUPA CHUPS”)は、日本においても被服を含む広い範囲で商標登録されていますので、許可なくロゴ入り商品を売ることが商標権の侵害であり、販売主が責を負うのは疑いありません。問題は場の提供者である楽天に責任があるかどうかです。店子が勝手にやっただけであって楽天は関係ないという主張もあり得ますし、楽天には管理責任があるはずだとの主張もあり得るでしょう。

この事件の地裁判決は楽天に責任なしというものでした。そして、今回の知財高裁判決でも結論は同じです。しかし、その結論に至るまでのロジックに注目すべき点があります判決文には以下のように書かれています(太字強調は栗原による)。

本件における被告サイトのように,ウェブサイトにおいて複数の出店者
が各々のウェブページ(出店ページ)を開設してその出店ページ上の店舗(仮想店舗)で商品を展示し,これを閲覧した購入者が所定の手続を経て出店者から商品を購入することができる場合において,上記ウェブページに展示された商品が第三者の商標権を侵害しているときは,商標権者は,直接に上記展示を行っている出店者に対し,商標権侵害を理由に,ウェブページからの削除等の差止請求と損害賠償請求をすることができることは明らかであるが,そのほかに,ウェブページの運営者が,単に出店者によるウェブページの開設のための環境等を整備するにとどまらず,運営システムの提供・出店者からの出店申込みの許否・出店者へのサービスの一時停止や出店停止等の管理・支配を行い,出店者からの基本出店料やシステム利用料の受領等の利益を受けている者であって,その者が出店者による商標権侵害があることを知ったとき又は知ることができたと認めるに足りる相当の理由があるに至ったときは,その後の合理的期間内に侵害内容のウェブページからの削除がなされない限り,上記期間経過後から商標権者はウェブページの運営者に対し,商標権侵害を理由に,出店者に対するのと同様の差止請求と損害賠償請求をすることができると解するのが相当である。

要するにモールサイトの運営者が権利者から侵害の通知を受けたのに放置していたような場合は、出店者だけではなく運営者も損害賠償責任を負うということです。今回楽天は賠償責任を負いませんでしたが、それは、楽天が偽ブランド商品をサイトから迅速に削除したという前提でということです。

考え方としてはプロバイダー責任制限法(プロ責)にちょっと似ています。プロ責の基本的考え方は、CGMサイトなどでユーザー著作権侵害等を行なっても、運営者が権利者の削除要請に迅速に従うなどの措置を取っていれば損害賠償責任を負わないというものです(なお、侵害行為を行なったユーザー自身が免責されるわけではありません)。多数のユーザーを抱えるCGMサイトであらゆる投稿をチェックするのは非現実的なので妥当な規定と言えます。なお、当然ですが、運営者自身がユーザーに侵害行為を奨励していたり、侵害行為を放置していると判断された場合には、プロ責は適用されず運営者自身が侵害者とされてもしょうがありません(たとえば、「TVブレイク」事件)。

カラオケ法理との類似性が頭に浮かぶ人もいるかもしれませんが、カラオケ法理の場合には、個人の行為だけを見ると侵害行為でないように見えるのに、事業者を行為主体とみなすことで全体として侵害行為になるというようなロジックである(ファイルローグ事件など例外はありますが)のに対して、今回のお話は、販売店の行為が違法なのは大前提として、加えて楽天に責任があるかが問題になっているので、ちょっと違うと思います。

なお、海外では、ネットオークション大手のeBayを化粧品会社のロレアルが訴えた事例がありますが、同様のロジックかつ結論になっています(参考記事:「商標権侵害でeBayを訴えたロレアルの主張を認めず、ロンドンの高等法院」)。

これから言えることは、モールやオークションなどのようにユーザー間で自由に商品やコンテンツを売買するサイトを運営している人にはそれなりの注意義務があり、その義務を守らない場合には商標権侵害や著作権侵害で運営者自身が訴えられる可能性もあるということです(いずれも、罰則は結構厳しい法律です)。たとえば、Gumroadというユーザー間で低価格のコンテンツを販売できるサイトがちょっと話題になっていますが、同様のサイトの運営を検討されている方は十分な注意が必要でしょう。

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中国におけるiPad商標問題について

iPadの商標に関してAppleが中国で窮地に陥っています。既に中国企業の商標権に基づいた訴えによりiPadの販売停止を命じられていますが(たとえば、「中国北京近郊で、商標侵害を理由に「iPad」が販売停止へ」参照)、さらに、輸出も禁止される可能性が出てきています(たとえば、「iPad商標権問題、中国からの輸出禁止に発展も」参照)。

メディア記事のタイトルだけ見ると、中国の商標ゴロにiPad商標を先取り出願されて困っているというような話に見えるかもしれませんが、そうではありません。iPadの中国での商標権を所有している中国企業Proview Technology(唯冠科技)は、2000年時点からiPadを中国で商標登録しています(なお、iPodの登場は2001年なのでiPodの名前をパクったということでもないと思われます)。

ここでの問題は、Proview Technology社と商標権を譲渡するという契約を結んでいたとAppleは思っていたのですが、その契約には中国での権利は含まれていなかった(台湾での権利だけだった)ということのようです。当事者間の契約の問題なので外部からは細かいことはわかりませんが、中国の裁判において昨年の12月にProview Technologyの訴えが認められており、Appleは中国におけるiPadの商標権を所有していないことが認定されています(Appleは控訴しています)。

なお、商標権の効力は、商品の製造・販売・広告等だけではなく、輸出にも及びますので販売が差止められた以上、輸出も差止められてもおかしくありません。(追記: その後の報道によるとただちに輸出入禁止ということにはならなさそうです)。

万一、iPadの中国からの輸出が禁止されると中国だけではなく、世界的なサプライチェーンにも影響が出てきます。大技としては中国内の製造段階では商標を付けないでおいて、中国外でiPadの名前のシールのようなものを貼る手もあるかもしれませんが、Appleのデザインポリシーとしては許容しがたいでしょう。

同様に、中国での販売に限ってiPad以外の名称を使う手もあります(たとえば、EMCのミッドレンジ・ストレージ製品は米国ではCLARiiONというブランドでしたが、日本ではカーステレオのクラリオンの商標とかぶるためにCLARiXというブランドを使っていました)が、これまたApple的には許容しがたいでしょう。

Appleは、iPhoneの時は米国でCiscoと、日本ではインターホンの「アイホン」と、そして、iPadの時は日本で富士通と、等々商標権に関してはいろいろと問題を起こしつつも何とか丸く収めてきましたが、相手が中国企業だと同じようにはいかなかったということでしょう。
追加:?twitterで指摘されて気がつきましたが、Appleの無線LAN製品のAirPortは日本だけは商標権の関係でAirMacという名称で売ってますね。まあ、一周辺機器の名称では妥協しても超主力製品の名称では妥協できないのは変わりないでしょう。)

最終的には金(おそらくは結構な金額)で解決することになるとは思いますが、言えることは1) 商標権はいったん取得できればきわめて強力である、2) 中国企業は一筋縄ではいかない、ということかと思います。


CMです: テックバイザーではコミコミ58,900円〜で商標登録出願代理を行なっています。他社に商標権を取られてややこしいことになる前に是非ご商標登録出願を検討ください。中国・台湾・香港への出願も行なっています。詳しくはこちら

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実を結ばなかったマイクロソフトのタブレット・イノベーション

Facebook経由で10年前の興味深い記事(「マイクロソフト、家庭向け次世代デバイス「Mira」を日本でも発表」)を読みました。2002年のCESの基調講演でビルゲイツが家庭向けのタブレットデバイスMiraを発表したという内容です。

MiraにWindows XPのデスクトップ画面をそのまま表示してExcelなどのWindowsアプリケーションを利用できるほか、ペンやダイヤルでの操作向けに作られたシンプルなインターフェイス「Freestyle」を経由し、TV視聴やPVR(Personal Video Recording)、写真や音楽などのマルチメディアブラウズ、WebブラウズやE-Mailなどを利用することもできる。

ということで、まさにiPadを先取りしていた内容です。マイクロソフトがタブレット市場に大きく出遅れているのは周知の事実ですが、同社は別にこの分野へのイノベーション投資を行なってこなかったわけではありません。おそらくは投資金額で言えばApple以上の投資を行なってきているでしょう。しかし、この分野では今のところ実製品分野のイノベーションに結びついていません。

ここで、当ブログの過去記事(『エスケープベロシティ』解説(第2回):カテゴリー力(2) 〜抵抗勢力に打ち勝ち成長機会に投資する〜) を読んでみてください。そこで紹介されている3ホライゾンモデルの良い事例になっていると思います。(このモデルが有効に使われていないがゆえに失敗したという意味での「良い」事例です。)

2002年当時は、Miraはホライゾン3の案件でした。つまり、5年から10年先を見た成長機会のオプションとしての案件です。これをうまく稼ぎ頭であるホライゾン1の案件に成長させなければいけないのですが、その間の期間であるホライゾン2で十分な投資が行えていないという典型的な問題です。『エスケープベロシティ』を再度引用すると、まさに「ホライゾン1にはホライゾン3の案件が残骸となって流されてくる」状況であります。

過去記事の内容を繰り返しますが、ホライゾン2の案件に十分な投資が行えないのは、現状の稼ぎ頭であるホライゾン1との経営資源の取り合いに負けるからです。ここで、ホライゾン1とは言うまでもなくWindowsとOfficeです。

イノベーションを成功した製品として結実させたいのであればホライゾン2に意識的に経営資源を割り当てなければなりません。それを可能にするのはトップのビジョンとリーダーシップです。残念ながらSteve Ballmerにはそのビジョンとリーダーシップが欠けていたということでしょう。2010年に「タブレットは新カテゴリーのデバイスではなく、PCのサブセグメントにすぎない」等と発言していた(参照記事)ことからもわかってなかったことが伺い知れます。

大企業が新たなカテゴリーを切り開く(そしてそこで成功する)ケースがきわめて少ない最大の理由は企業がイノベーションを行なっていないからではありません現状の稼ぎ頭がイノベーションの成熟化を邪魔することにあります(これは、『ライフサイクルイノベーション』、『エスケープベロシティ』を通じたムーア氏の重要論点です)。

もちろん、マイクロソフトには、Azure、XBox、Kinectなどうまく市場で成功できた製品もあります(これらはマイクロソフトにとって新規分野であり、ホライゾン1との経営資源の取り合いがあまり実問題にならなかったのが幸いしたかもしれません)。もちろん何から何まで失敗したというわけではないのですが、タブレット(そして、スマートフォン)分野での同社の「失敗」から学ぶべきことは多いと思われます。

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ムーアのイノベーション実行モードのモデルをニコニコ動画に当てはめてみる

前回書いたジェフリームーアの『エスケープベロシティ』におけるイノベーションの実行モードの遷移の話ですが、ニコニコ動画に当てはめて考えてみるとわかりいやすかもしれないと思ったのでちょっと書いてみます。

ニコニコ動画はボリューム・オペレーション・ビジネスなので実行のモードは「プロダクト」(発明)→「パートナー」(展開)→「プロセス」(最適化)と遷移していきます。

Escape Velocity 2

最初の「プロダクト」の段階におけるイノベーションは、言うまでもなく動画再生にコメントをリアルタイムでスーパーインポーズして表示するテクノロジーです(ニコ動が世界初というわけではないですがイノベーションであったことは確かです)。ここでは、「インベンター」である開発者が重要な役割を果たしました(それはたぶん戀塚さん)。

しかし、優れた「プロダクト」を作っただけでは長期的な成功は達成できません。たとえば、動画にコメントを表示すると言うサービスでは中国のMojitiというサービスが先行していましたが、Mojitiは単独では成功できませんでした(Huluが買ってくれたので結果オーライではありますが)。ここで必要なのが「パートナー」の輪を広げていく作業です。ニコ動は一般ユーザーや広告主を増やすだけではなく、大手コンテンツ提供者との提携、さらにはJASRACとの契約も成し遂げました。ここでのリーダーは「デプロイヤー」たる川上会長だったのでしょう(たぶん)。

なお、この「パートナー」のステージでは、ニワンゴが、JASRACにも多大な収益をもたらしており、エイベックスの子会社でもあるドワンゴの子会社であることを無視できなかったと思いますん。そういうバックグラウンドがない会社がことを進めてもなかなかうまく行かなかったのではないかと思います。このステージでは理屈だけではなく政治力も大事です。『エスケープベロシティ』においても、iTunesが大手レコード会社との提携に成功できたのもジョブズがディズニーの取締役であってこそだったと書かれています。

そして、最後の「プロセス」(最適化)のステージでは、名前は存じませんがおそらくIT担当のマネージャが「オプティマイザー」として安定したサービスを提供するよう日夜努力されていると思います。安定稼働がちゃんとできなくてユーザーが離れていったネットサービスも多いので非常に大事なステージではあります。

ということで、ネットサービスに限らず、新規ビジネスを最後まで花開かせていくためには、「発明」→「展開」→「最適化」のすべてのステージにおいてそれに適したリーダーの元で実行力を発揮していかなければならないというお話でした。

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