コルシカですが、結局すべての雑誌の販売を中止したようで、このままフェードアウトしていく可能性が高いと思われます。そういう意味ではもう済んだ話ではあるのですが、仮にコルシカが米国でサービスを開始していたらどうなっていたかを考えてみましょう(米国では主要雑誌はほとんどWebでコンテンツを提供してますので、雑誌のスキャンサービス自体の商売としての意味があまりないですが、ここでの目的は日米の著作権制度の違いを説明することです)。
コルシカが米国でサービスを始めれば、当然に権利者側はなんらかの法的手段に訴えるでしょう。裁判かそれ以前の交渉であるかは別として、コルシカ側はフェアユースの抗弁を主張できます。具体的には「利用者がデジタルコピーを買った分だけ、物理的な雑誌が購入されているので、出版社には損害が発生していない、そればかりか、雑誌の売り上げ増に貢献にしている」と主張することになるでしょう。
この主張が認められない可能性もありますが、たとえば、「コルシカがちゃんと本を買っているかを担保できるよう権利者側が監査できる」との条件の下にサービスを継続できるという形で落ち着く可能性などがあります(あくまで仮説)。
これに対して日本の著作権制度ではフェアユースの抗弁という考え方がありませんし、差し止め請求(著112条)の規定がありますので、損害が発生しているか否かにかかわらず、権利者側はサービスの停止を請求できます(これは損害賠償請求とは別の話)。そして、著30条に「使う人自身がコピーしなければ私的使用目的複製ではない」旨が明記されているため差止請求はほぼ確実に認められることになるでしょう。交渉の余地はほとんどありません。
要するに、何か新しいサービスが出てきたときに、米国の著作権制度ではフェアユースの抗弁の考え方があるがゆえに、利害関係者が交渉して新しいWin-Winの秩序を作れる余地が大きいと言えます。なお、新しい秩序ができた後は、それが成文化されることもあります(フェアユースの制度があると何でもかんでも裁判に持ち込まれるというわけではありません)。日本の著作権制度では、法律に書いてある著作権侵害の要件に合致しさえすればメカニカルに差止請求できてしまいますので、このような全体最適化を行なう余地は法律を変えない限りほとんどないと言えます。