なぜ本を貸すのは良くてゲームを貸すのはダメなのか

元タイトルは「なぜ本を貸すのはよくてゲーム機を貸すのはダメなのか」だったのですが問題の本質はゲームソフトの貸し出しにあるので「ゲーム機」→「ゲーム」に変えました。どうもすみません。

ちょっと前のエントリーでホテル(に限らず営利事業をやっているお店)が客にゲーム機とソフトを貸し出して店内で遊ばせるのは著作権的にダメであると書きました(もちろん別途営利利用のライセンス契約を行なっていれば別です)。一方、客に本を店内で読むために貸し出すのはOKであるとも。なぜ、ゲームと本で扱いが異なるのでしょうか?これ、実は著作権制度の根幹にかかわる結構深い問題なのでここで解説してみます。

まず、押さえておきたいポイントは、著作権法では、著作物を本来の目的で使う行為をコントロールするという概念はないということです。つまり、音楽を聴いたり、本を読んだり、映像を観たりする行為です。こういう人間の心の中で起こる行為をコントロールするのは本質的に難しいですよね。たとえば、仮に著作権契約でこのCDは買った本人と家族しか聴けないと決められるものします。だけど、そのCDの音が家の外に漏れてしまってたまたまそれを聴いちゃった人はどうなるんでしょうか。「お前はこの音楽を聴いたはずだ」、「いや耳には入ったかもしれないが単なるノイズとしか認識していません」、「そんなことはない、ちゃんと音楽としての良さを感じたはずだ」なんて議論してもしょうがないですよね。

また、著作物の視聴をコントロールすることは検閲にもつながり得ます。「尖閣ビデオ(公開されてしまった後の話)は国の著作物なので国民は見てはいけない」と言っても意味ないですし、検閲以外の何者でもありません。

ということで、著作権法では、著作物の視聴そのものではなく、複製、譲渡、貸与、上演、上映、公衆送信等々の能動的な行為を限定的に列挙し、それをコントロールする仕組みを取っています(これは日本に限った話しではありません)。

著作権法上の用語では、著作物を視聴等する行為を「使用」、上記の能動的行為を「利用」と呼んで区別しています。著作権法とは著作物の「利用」をコントロールする法律であり、「使用」をコントロールする法律ではないと言えます(ほんのちょっとだけ例外あり)。

ゲーム機店内貸し出しの話しに戻ると、ゲームの映像を画面に表示する行為は著作物の上映なので「利用」に相当し著作権法によりコントロールされます(権利者の許諾がなければ違法)。一方、本を読む行為は著作物の「使用」なので著作権法によりコントロールされません(なお、ゲームも本も店外に持ち出すわけではないので貸与権は効いてきません。)

実は、この話はマジコンやDVDのリッピングを著作権法上でどう扱うべきかという話にもつながってくるのですが、これについてはまた次回。

追加(11/01/27):はてブ等で「まだよくわからん」との声が聞かれますが、これはある意味当然です。デジタル・テクノロジーの登場により、伝統的に存在した「使用」と「利用」の境界線が曖昧になっているケースが増えているからです。たとえば、紙の本を読む行為は明らかに「使用」ですが、電子書籍を読むは「使用」なんでしょうか「利用」(上映)なんでしょうか?もし、電子書籍にコンテンツを表示することが上映ではないとするならば、ポータブルゲーム機はどうなんでしょうか、などと考えると境界線は明確ではないことがわかります。この論点についてはまた機会を改めて書くことにします。

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